ペギーの居酒屋 喜多嶋隆

ハワイ生まれのハワイ育ちのペギーが料理をふるまう「休」という居酒屋が舞台。


日本の広告代理店に就職するが、データ改ざんを要求する上司やその待遇に疑問を抱き退職。住む場所を探していた時にひょんなことから千駄木にある潰れかけの居酒屋で働くことに。


居酒屋を舞台にしながら、家族が再び出会う物語だと思った。

ペギーの母は18歳で日本を飛び出しその後29年間帰っていない。祖父とはケンカ別れのままだ。

様々な出来事がペギーと祖父母、母の気持ちを解きほぐしていく。


誰しも、家族にあの時あんなこと言ってしまった。あれってずっとあのままだよなー。みたいなことがあるかもしれない。案外そういうことって解消するタイミングを逃して、そのまま硬直したまま何年も経ってしまうのかもしれない。


それでもどこか深層のところに細く、それでも強く繋がっている絆を感じた。


天ぷらがその絆かな。


出てくる料理が美味しそうでこんな居酒屋があったら行ってみたいなー。

まぼろしのパン屋 松宮宏

3つの短編。
パン、ホルモン、姫路のおでん、食べ物をテーマにしながら描かれるヒューマンストーリー。

主人公たちもどこかで見たことがありそうな市井に息づく人たちでドラマチックな物語の展開はないが、逆にそのことに好感が持てる。

なんかこんな感じで人生って進んでいくよね、進んでいけばいいよねって思わせてくれる。

反面、カタルシスはないので空いた時間にサクッと読めてしまう軽さもあり。

ヒーローインタビュー 坂井希久子

将来を期待されて阪神タイガースに入団しながら、なかなか結果が出せなかった仁藤全という主人公について、彼にまつわる周囲の人々へのインタビューでその人柄を浮かびあがらせる。

現役バリバリで活躍することはなかったが、彼の親しい人たちの中では間違いなくヒーローであった。

口下手で不器用で野球少年がそのまま大人になったような仁藤の優しさに心温まるヒューマンストーリー。

阪神の選手名を文字って登場させているのもクスっと笑える。

フィクションではなく、本当に仁藤という人物がいたのでは?と思ってしまう作品。



七つの会議 池井戸潤

利益を上げるための、品質の軽視。1つのネジを発端としてその背景にある企業文化があぶり出されていく。

一人の人間の中でも良心の葛藤があるように、一つの会社の中でも告発したいものと、隠蔽したいものの葛藤があった。

池井戸さんの他作品に劣らずテンポよく読み進めることができる。


売り上げ未達で、たとえ会社で人間扱いされなかったとしても、不正をしない行き方ってあると思うのだが、きっかけが些細なことすぎて、一歩また一歩とその道に進むうちにもう引き返せないところまで来てしまうんだろうな。

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 増山実

現在はショッピングモールとなったかつての西宮球場と、そこを本拠地としていた阪急ブレーブス、そしてある夜の試合を中心として物語は展開していく。

50歳となり、父の生きた年齢を1つ越えた主人公は聞き間違えのようなイツカキタミチというアナウンスに導かれ西宮北口駅を訪れる。
ショッピングモールの片隅にある球場があった頃のジオラマを見ていた主人公は、いつの間にか、過去一度だけ父と来た阪急ブレーブスの試合の夜に遡ってしまう。
あの日言いたくて言えなかったこと、できなかった会話をきっかけに父の過去が語られていく。

そして物語は、かすかなつながりを保ちながらやがて、主人公とその父、父のかつての恋人、かつての恋人とその夫、主人公に野球を教えてくれた江藤のおっちゃん、代打の切り札高井、キューバから来たバルボン、その他たくさんの人物の生き様を浮かび上がらせてくれる。
 
繁栄した祖国という夢を見て北朝鮮に帰ったものもいれば、革命が起こり故郷のキューバに帰れなくなったものもいる。夭逝するものもいれば、過酷な環境の中で生き永らえたものもいる。

ブレーブスにもらった"勇気"を大切にしながら力強く生きていく人々を描いた作品。

過酷に生きた一人の女性のカタルシスの物語であり、故郷と切り離された人々の懸命に生きる姿、故郷とは何かを問うた物語でもあると感じた。

次々と登場人物の生き様が連関するため、ページを繰る手が止まらず、一気に読んでしまった。

生きる場所って自分で選んでいるようでいて、結局のところそこでしか生きられないから、そこで生きているのかな。
選んでいるようでいて、実はそれ以外の選択肢の中では生きていけなかったんじゃないかなと、ふと思ってしまった。
そこでどう生きるのかっていうことが大事なのかな。

読後しばらくして気づいたけど、
タイトルは勇者たちの伝言ではなく、勇者たち"へ"の伝言なんですよね。そこでしか生きることができなかったけど精一杯生きた勇者たちに、何か大切なこと伝えたかった人がいるってことを言いたかったのかもしれないなと思いました。

昨夜のカレー、明日のパン 木皿泉

まず、単純な感想としてすごく良かった。大好きな本。


若くして亡くなった一樹。一樹が亡くなって以降も妻と義父が続ける同居生活。

二人は一見穏やかな日々を過ごしているように見えるが、その内面では一樹が亡くなったことから前に進めず、でもこの心地よい穏やかな二人の暮らしが永遠に続かないことも分かっていて、少しずつ少しずつ色んなことが変わっていくことに戸惑いを覚えながらなんとか生きていく。


二人をとりまく人物を主人公にして短編を重ねていくことで、二人の暮らしを浮かび上がらせていく。

過去のエピソードも交えることで、現在の関係性だけではなく、時間軸が加わり、より立体的に登場人物の内面を感じさせる描き方をされている。


二人以外の登場人物も往々にして何らかの「喪失」を抱えていて、でもそれでいて、情緒的感情的にならずに、喪失と向き合いながら立ち止まったり悩んだり しながらそれでも淡々と生きていく。

喪失を何かで埋めるということとは少し違う感覚。

忙しい日々の中でふと忘れそうになる人とのふれあいの機微や、日々を「暮らし」ていくということを感じさせてくれる作品。


ゆっくりとゆっくりとした快復の物語な気がした。








この悔しさは忘れない

この悔しさは忘れない。

32年の人生で

これだけ大きなチャンスはなかったし、

これだけトライしたいと思ったことはなかったし、

これだけ何かものごとを欲しいと思ったことはなかった。


今まで積み重ねてきた経験や自分自身が取り組んできたことは

このチャンスにトライするためにあったんだと思えたし、

身の回りの環境、家族や友人の支え、

自分のコンディション、全てが自分にとって不思議とプラスに作用し、追い風のように感じていた。


この風にのって大きな飛躍ができる、

素直に純粋に心からそう思えたし、

そう信じて挑戦した。


手ごたえもあった。行けるという感触もあった。全てがうまくいっている感覚だった。


人生が好転する時は

パズルのピースが向こうからやってくるみたいに偶然が重なったり、運が味方してくれたり、自分やその周囲にパワーが自然発生して、それがオーラのようになるものなんだと思った。なにもかもが好転していった。


しかし、望んだ結果は手に入らなかった。

新しいステージに挑戦できる、そう思っていたのに、そのステージに立つことはできない。


悔しい。


明日からまたいつもの日常だ。

挑戦の舞台に立てないのは本当に悔しい。


泣きたいくらいに悔しい。


大声をあげて叫びたいくらい悔しい。


この悔しさを前向きの力に変えるには

まだ時間がかかりそうだ。


でも、トライしないままだった自分とトライしてダメだった自分は多分違う自分だ。


トライしてダメだった自分の方が好きだ。


いや、トライしてうまくいく自分になりたい。


悔しい。


いつかこの経験が糧になるように、

この悔しさがいつか良かったと思えるように

明日からも自分を好きでいられるように、

絶対にこの気持ちを忘れないようにここに記す。